2012/04/15

iPadを通して思うこと

最近のApple製品、特にiPodとiOSデバイスは、ミニマリズムを追求することで製品の存在意義高めてきたと思う。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉が自分にはピッタリくるんだけど。

iPadには標準の内蔵アプリケーションとして電卓も時計も入ってない。コンピュータとして考えれば、入っていて当然、実現するに当たって何の問題もない、にも関わらずAppleはこれを入れてこない。ユーザに対して理不尽とすら思えるような不便さを押し付けてでも、製品の存在意義を明確にすることを大切に考えてる証拠と思う。開発費が足りない会社ならともかく、こんな決断のできる会社はそうそうない。

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より小さいiPadの噂も出ているけど、そしてそれがいつか製品化されるかもしれないけど、今現在まで製品化されなかったことに大きな意味があると思う。

JobsさんがiPadには10インチのディスプレイが必要だ、と主張したのは、この大きさがなければこのカテゴリが成立し得ないことを考えてのことだったのだと思う。片手で単行本を持つような使い方をするならもう少し小さいディスプレイも選択としてあり得たはず。しかし、小型ノートPCでもない、スマートフォンでもない、新しいカテゴリを立ち上げるには、これより小さな画面での表現力ではスマートフォンに対する差別化が弱すぎる。スマートフォンと十分な距離感を保ちつつ、程よい携帯性を実現するサイズが新しいカテゴリとして認知されるためには必要だったはずだ。

この新しいカテゴリにはサイズよりもっと大きな存在意義がある。完全とは言えなくても、必要十分なアプリケーションが、PC無しで使えることを認知させたことだ。Intel CPUがなくても、Windowsがなくても良いのだ、という意識を植え付けることが、副次的だが、iPadの重要な存在意義だ。大きなiPod touchと呼ばれることもあったが、iPod touchやiPhoneではこの役割を果たせない。いつか、もしかしたら既に?この後者の存在意義が大きな意味を持ってくるだろうね。